川崎 銘菓 八百八橋
賞味期限1ケ月位で地方発送に人気!
銘菓八百八橋の由来
八百八橋の名は郷土の先覚者野村文左ェ門翁の偉業を偲んでつけたものである。野村氏は代々丸子の渡しのほとりに「ほしかや」と飾して魚肥を商っていた。房総沖で撮れたものを多摩川からあげて近郷の農家の貴重な肥料としたもので、その範囲は中原街道を西へ遠く相州海老名耕地にまで及んだという。当時この街道は人馬の往来も繁く江戸へ通ずる重要な路線となっていた。そこで野村氏は伊豆から小松石を取り寄せ、この街道を中心に枝道に至まで沢山の石橋を掛け人々の利便を図った。今から凡そ二百年前のことである。丸子の里も今では電車や橋の開通で住宅地、商店街として繁栄している。岡埜栄泉主人木我君、永きにわたりこの地新丸子に菓子舗を営み、先人の業績を広く人に知らせ、永く後世に残さんと丹精をこめてつくられたもの即ちこの銘菓である。
初代 川崎郷土研究会 会長 小林英男
川崎銘菓 丸子の渡し
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銘菓丸子の渡しの由来
大正十年武蔵野の面影を残す多摩川です。渡し船の発祥は定かではないが昭和十年五月廃止になるまで東京(虎ノ門・五反田)ー中原街道(大山・平塚)を結ぶ重要な交通機関でした。右上方に見える森は日枝神社で中でも際立って高く見える樹は『大杉』と呼ばれ神社の御神木で上は三本に分かれていました。根元は一本で周囲約十五米(五十尺)高さ三十米(約百尺)を越え樹齢七百年以上。丸子を知る人々にとって最も思い出深いものです。(※現在は幹は台風の為倒れ伐採され切かぶのみ残っています。)
初代 川崎郷土研究会 会長 小林英男